第55回:『竹の塚3大ストア』と『開かずの踏切』の想い出

この原稿を書いているのは、5月23日、竹ノ塚駅高架下の商業施設「EQUiA(エキア)竹ノ塚」のオープンの日だ。施設内にはカフェや物販店、飲食店など24店舗が出店しており、今後の竹ノ塚駅周辺の賑わいにも期待が持てそうだ。鉄道高架の構造を活かしたガラス張りのアーケードが素敵だと思う。

キャッチフレーズは「モットタノシイエキヘ」。ちなみにEQUiA(エキア)とは「駅」に「クイック(quick)&クオリティ(quality)」と「エリア(area)」を加えた造語で、〝手軽に質の良いものやサービスを提供する場所〞の意味を込められているとのこと。

さらに今秋には、「EQUiA竹ノ塚」の施設内「Ⅱ街区」に、竹ノ塚駅地区では23年ぶりとなる「東武ストア」が出店されるとのことで、こちらも楽しみにしている。

「EQUiA竹ノ塚」のパンフレット表紙
「EQUiA竹ノ塚」のパンフレット表紙

竹ノ塚の駅前にはかつて地元民から〝竹の塚3大ストア〞と呼ばれる3軒のスーパーマーケットがあった。前述の「東武ストア」と今はなき「松坂屋ストア」「東光ストア」である。昭和40〜50 年代にこの界隈に住んでいた方、とりわけ主婦の方ならよく覚えていることだろう。

「東武ストア」は1968(昭和43 )年11月開店(店舗面積1278㎡)竹ノ塚駅ビル内にあって、改札を向かって左手に進むとすぐに店内に入ることができた。2階の入り口付近は女性下着売り場になっていたが、当時小学生だった私にとって、こっ恥ずかしい場所であった。赤い下着に興奮しながら、おもちゃ売り場に行っては友人と野球盤や魚雷戦ゲーム、サッカーゲームに興じたものだ。

駅の高架化に伴うビル改築のため2001(平成13)年9月末に閉店したが、今回新しく生まれ変わる「東武ストア」は旧友と久しぶりに出会うかのようでワクワクしている。

「松坂屋ストア」は竹ノ塚駅前にある公団住宅の1階に入っていた。昭和40年代当時、私の母親は「3大ストアではここが一番安い」と話していた。私自身は母親の買い物に付き合っていただけで、おもちゃ売り場もなく、子どもには楽しい場所がなかったのでこのお店についてはその頃の記憶はほとんどない。いわば「主婦向けのお店」だったのでお子様には不向きな店だったようだ。現在はそのまま「ピーコックストア」(大丸系↓イオン系)に引き継がれており、京樽、銀座コージーコーナー、ケンタッキーフライドチキンなどの店舗が入っている。

「東光ストア」は現在の「竹の塚JOYぷらざ」の場所にあった。東光ストアは東横百貨店が白木興業株式会社との合併を機に株式会社東光ストアに商号変更して生まれたスーパーマーケットで、竹の塚店は1970(昭和45)年6月に開業した。東光ストアはその後、東京急行電鉄の関連会社となり、1975(昭和50)年3月に〝東急ストア〞に社名変更。竹の塚店も東光から東急に名前を変えて営業を継続した。

時代のニーズに対応すべく1977(昭和52)年4月には改装を行ったが、周辺にイトーヨーカ堂などのライバル店が出現するなど環境の変化もあり、バブル崩壊後の1992(平成4)年2月28日に閉鎖した。そのイトーヨーカ堂も現在は存在しない。

東急ストアを記憶されている方には、なぜ東武伊勢崎線の竹ノ塚に〝東急〞を冠にするストアが存在するのか不思議に思っていた方もいただろうが、このような経緯があったのだ。

余談だが、この店のおもちゃ売り場は広く、取り扱う商品の種類も充実し、手にとって自由に遊ぶことができた。屋上は遊戯施設やゲームセンターがあり、踊り場にはミドリガメや爬虫類、インコや九官鳥なども売られていてちょっとした遊園地のような店舗だった。もちろん、当時の小学生たちの遊び場になっていた。

さて、話は変わるが、竹ノ塚駅が高架化されたのは2022(令和4)年3月と、つい最近のことだ。以前は地元では悪名高い通称「開かずの踏切」こと、「伊勢崎線竹ノ塚駅構内第37号踏切道」が横たわっており、ラッシュ時には1時間に3分しか開かないという有り様だった。

本誌の読者なら覚えている方も多いと思うが、2005(平成17)年3月にこの踏切では女性4人が電車にはねられるという悲惨な事故が発生した。この当時は保安係が遮断機を手動で操作していた(写真)。コンピュータ制御にしてしまうと、文字通りの「開かず状態」になってしまうので、保安係が〝手動〞で歩行者だけが通れる高さにする、お年寄りが渡り切れるまで遮断機を少しだけ開けて待つといった機械ができない調整を行っていたのだ。結果的にはこれが不幸な事故の原因になってしまった。

手動で遮断機を操作する保安係
手動で遮断機を操作する保安係

この死傷事故をうけ、東武鉄道と足立区は現場付近の約1・7キロメートルの区間を高架化することに至った。事業費は540億円で費用負担は東武鉄道が16%で、区が84%とのこと。(国や都の補助金を活用したので、区の実質負担は110億円となった)。

 「開かずの踏切」の思い出話

開かずの踏切(2005年3月撮影)
開かずの踏切(2005年3月撮影)
標語の看板(2005年3月撮影)
標語の看板(2005年3月撮影)

踏切待ちしていた鼻息の荒いおばちゃんが遮断機を操作する保安係に食って掛かっているのも日常だった。その捨てゼリフを覚えている。「もぉ〜、30分以上も待っているのよ。こんなんじゃ、親の死に目にも会えやしないわよ」「買ってきた焼き鳥が冷めちゃうじゃないのよ、あんた、どうしてくれるのよ」。こんな言いがかりを毎日、言われる保安係は気の毒だなぁ〜と同情したものだ。

開かない踏切を待ちきれずに自転車をかついで駅ビルの中を迂回する人も大勢いた。駅ビルの窓から踏切が開くのを目の当たりにしながら、「やっぱり踏切で待っていれば良かった!」と後悔するケースも少なくなかった。

いずれにせよ、この踏切は地元民のストレスだったことは間違いない。

今でもこの高架下を通るたびに苦笑してしまう思い出がある。私が足立区立第14中学校に通っていた時に交通標語のコンクールがあった。竹の塚の踏切には、『踏切だ 鳴らせ 心の警報機』と書かれた看板が置いてあった。私はこの標語の踏切を交差点に置き換えて『交差点 光れ心の赤信号』として応募したところ、なんと入賞してしまったのだ。朝礼で全校生徒の前で紹介され、賞品まで貰ってしまった。この入賞をきっかけに〝人生は案外ちょろいもの〞だと勘違いする癖がついてしまい、大人になって苦労している(汗)。

「EQUiA(エキア)竹ノ塚」のオープンにちなんだものの、ついつい個人的な思い出話になってしまった。

共鳴してくださる読者がいらっしゃいましたら幸いです。

★はすぴー プロフィール
『はすぴー倶楽部』管理人
https://www.hasupy.com/

【生年月日/血液型】
◆昭和33年11月13日
(↑キムタクと同じ11/13生まれの東京タワー君と同い年)
◆さそり座のA型・・・神秘的だと占いにでていた(本当かいな?)
【出身】
東京下町の足立区で育ち、現在も足立区在住。
【家族】
カミさん、娘3人、愛犬ライム(ダックス)
【趣味】
家庭菜園、山歩き、写真、都内散策
【好きなもの】
笹倉鉄平の風景、向井潤吉の風景、風呂上がりのビール
【嫌いなもの】
ゴキブリ、日曜日の憂鬱な夜、性格のねちっこい人、酔っ払いのおやじ
【その他】
中央区観光協会特派員、「あだち百景」コラム寄稿中

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